木曽駒ヶ岳にはロープウェイで登る人が多いですが、今回は桂小場登山口から歩くルートを選びました。
1泊2日のテント泊です。

ロープウェイに乗れば、木曽駒ヶ岳は日帰りで登れます。
千畳敷まで一気に標高2,612mまで運んでくれるので、そこから山頂までは2時間ほど。
日本でいちばん手軽に3,000m近い世界へ行ける山、と言われることもあります。
でも今回は、ロープウェイを使いませんでした。
伊那市側の桂小場登山口から歩いて登る、通称「クラシックルート」。
標高1,280mからスタートして、将棊頭山を越え、馬の背をたどって木曽駒ヶ岳へ。
標高差は1,700mちかく、片道だけで7時間以上かかります。
そしてこのルートは、新田次郎の小説『聖職の碑』の舞台になった道でもあります。
大正2年、中箕輪尋常高等小学校の集団登山がこの道で暴風雨に遭い、校長を含む11人が亡くなりました。
その事故を題材にしたのが『聖職の碑』です。

「ロープウェイを使いたくなかった」ということではなく
『小説に描かれた道を、自分の足で歩いてみたかった』
実際に歩いてみて、いちばん心に残ったのは景色ではありませんでした。
登山口の看板、樹林帯にひっそり立つ石碑、避難小屋の掲示、手書きの最新情報、100年前に地元の人が積み上げた石室。
歩いているあいだ中、「安全に登ってほしい」という地域の人たちの思いを感じることが出来ました。

ぜひ最後までご覧ください。
今回のルートと行程
桂小場登山口 → 将棊頭山 → 頂上山荘テント場(テント設営・休憩) → 木曽駒ヶ岳 → 中岳 → 千畳敷 → 頂上山荘テント場(泊) → 伊那前岳 → 濃ヶ池 → 桂小場登山口
- 日数:1泊2日
- 総距離:29.5km
- 行動時間:21時間11分(2日間合計)
- 累積標高差:のぼり2,665m/くだり2,675m
- コース定数:63
- 体力度:★★★★☆
- 技術度:★★☆☆☆
YAMAPのコース定数は63。「きつい」の区分です。
数字だけ見ると身構えてしまいますが、水場と休める場所が多いので、長距離の割には歩きやすく感じました。
とはいえ標高差1,700mをテント泊装備で登るので、楽なルートではありません。

1日目|桂小場登山口から樹林帯を行く
早朝の桂小場登山口
前の晩は、道の駅大芝公園で車中泊しました。桂小場の登山口までは車で約30分です。
朝4時に道の駅を出発して、駐車場で支度をして、4時50分に歩き始めました。
桂小場駐車場は、約30台が駐車可能。
着いたときにはもうほとんど埋まっていて、私は登山口より少し先の路肩に寄せて停めました。
5時近いので周りはすでに明るく、同じように支度をしている人が何組もいました。

登山口には東屋と、大きな案内板。
熊出没注意の貼り紙も並んでいます。


朝日が差し込む樹林帯
歩き始めて10分ほどで、空が明るくなってきました。
このルートは、序盤がずっと樹林帯です。展望はありません。
ただ、朝の光が幹のあいだに差し込んでくる時間帯だけは別で、道全体がオレンジに染まります。

豊富な水場
歩き始めて20分ほどで最初の水場「ぶどうの泉」。パイプから水が流れ出ています。

そこから1時間ほど登った野田場にも水場があります。

このルート、とにかく水が豊富でした。
今回は7月下旬でしたが、涸れることなく水は出ていました。
一番お金のかからない軽量化は持っていかないことですが、一番ラクな軽量化は「途中で汲む」ことかもしれません。
ただし時期や年によっては涸れることもあるので、事前に山小屋へ確認しておくと安心です。
▶関連記事:テント泊登山の装備リスト|初めての1泊2日に必要な持ち物

樹林帯の石碑
馬返しを過ぎてしばらく歩いたところで、道の脇に石碑がありました。

真暗い森の中
級友がうめいている
おとうさん お母さんに会いたい
「出発」の声で
先生が頼もしく輝いた
すぐ近くの木に、こんな標識が括りつけられていました。

伊那中学校の集団登山で、生徒たちが下山中に雷雲につかまり、ここで落雷事故があったそうです。
紙には、亡くなった方が一人もいなかったことが強調して書かれていました。
木曽駒ヶ岳には、新田次郎の小説『聖職の碑』で知られる大正2年の遭難事故があります。
それとは別の事故ですが、同じように、学生たちが集団で登っていて起きたものでした。
大樽避難小屋へ
6時49分、大樽避難小屋に到着。歩き始めて2時間です。
小屋の前にはベンチが4つ。ここで休憩しました。

中も見せてもらいました。きれいに整理されています。

板の間に銀マットが敷かれていて、荷物棚もちりとりもあります。
避難小屋というより、きちんと手入れされた休憩所という感じでした。

よく見ると、携帯トイレの協力金箱や便袋の料金表、西駒山荘と伊那市観光課の連絡先。
さらに「2026年7月11日から回収方法が変わります」という告知まで貼られています。
今も管理されていて、とても手入れが行き届いている小屋でした。

私は行動食を食べて、10分ほどで出発しました。
胸突八丁|このルートで一番きつかった区間
7時8分、「胸突八丁」の標柱。

このルートで一番きつかったのは、胸突八丁でした。
汗が止まらないし、ペースも上がりません。
序盤からずっと登りっぱなしなので、ここに来るころには脚に来ています。
石がゴロゴロ積み重なった急登が、延々と続きます。

津島神社のあたりで、岩の隙間に古い木の標柱が立っていました。
文字が消えかかっていますが、「ヒカリゴケ」と読めます。

のぞいてみたら、岩の奥が光っていました。

おそらく見落とす人が多いと思います。
このあたりを通るときは、ぜひ岩の隙間をのぞいてみてください。
そして8時50分ごろ、「胸突ノ頭」の標識。

数字を見て、まだ半分かと思うか、もう半分かと思うか。
この日はもう半分だと思えました💪
森林限界|景色が一気に開く
胸突ノ頭を越えると、木が低くなってきます。
そして、樹林帯を抜けました!

ハイマツ帯の向こうに、行者岩の岩峰。
空が真っ青です。
御嶽山が雲をまとって立っていました。

ここまで3時間半、ずっと樹林帯を歩いてきたので、この爽快感はかなりのものでした。
この一瞬のために樹林帯を歩いてきたと言っても、大げさではありません。
分水嶺の標柱を過ぎると、稜線歩きになります。

将棊頭山|標高2,730m
8時58分、将棊頭山に到着。

まさに快晴!
御嶽山やこれから目指す木曽駒ヶ岳。


東には雲の向こうに南アルプスがずらっと並んでます。

山頂の解説標柱に、山名の由来が書いてありました。

市街より見上げる将棊頭山は、ここから見える東に突き出た尾根の先端(将棊の頭と呼びます)です。
そこから尾根づたいにこのピークまで一帯を総称して将棊頭山と呼んでいます。
伊那の市街から見上げたときの形が、将棋の駒に見えることから名付けられたそうです。
この日も道中の登山者には、将棊頭山を日帰りで目指す人たちが多くいました。
将棊頭山は、地元の人達にとって身近で、日帰りハイクにちょうどいい山のようです。
西駒山荘|この道が守られてきた理由
将棊頭山から10分ほど下ると、赤い屋根が見えてきます。西駒山荘です。

到着は9時16分。ここで水を補給しました。
桂小場からここまでで、0.7リットルほど飲んでいました。
水場の名前は「天命水」といいます。


そして、この小屋には石室があります。

花崗岩を6段に積み上げた低い建物で、その上に木造の小屋組みが載っています。
登録有形文化財だそうです。
自由に入ることが出来るので、中に入らせてもらいました。

太い梁、磨き上げられた板の間、薪ストーブ、写真パネル、望遠鏡。
100年前の建物だとは、言われないと分かりません。
入口の解説板に、こう書いてありました。

新田次郎の小説『聖職の碑』のモデルとなった中箕輪尋常高等小学校の遭難事故を機に、地域の人々の協力により大正4年に建設されました。(中略)開設後100年を経過した今もその構造を変えることなく、西駒登山の安全の拠点として使用されています。
事故が起きた。だから地域の人が石を積んで小屋を建てた。
そして100年経った今も、それが登山者の安全の拠点として使われているー。
コマクサ再生の地
小屋のまわりの砂礫地に、コマクサが咲いていました。
北アルプスで見るコマクサより、赤が強い気がします。

そばに看板が立っていて、そこにも驚かされました。

駒ヶ岳一帯に自生したコマクサは昭和初期に絶滅したといわれています。昭和52年から種まきや苗の植付けをし、コマクサの再生試験が続けられています。ここでは平成2年から伊那東部中学・箕輪中学の生徒たちによってその植付けが行われています。
一度絶滅した花を、40年以上かけて戻している。しかもその植え付けを、地元の中学生がやっている。
学生の集団登山で悲劇が起きた山で、いま学生が花を植えている。
そう思ったら、足元のコマクサの見え方が変わりました。
登山道の最新情報
小屋の前に、こんなボードが立っていました。

7月17日現在
- 濃ヶ池〜駒飼ヶ池間
- 雪渓トラバース なくなりました
- 権現づるね 新分岐あり
- 茶臼山ルート 正沢川渡渉かも
- 摺鉢窪小屋 使用不可
- コマクサ 見頃です
工事現場の看板を流用した情報板。
雪渓の状況、新しい分岐、渡渉の可能性、使えない小屋。歩く人が知りたいことが、全部書いてあります。
そして最後に「コマクサ 見頃です」。
まさに情報てんこ盛りでした。
30分ほど休んで、9時46分に出発。
ここから馬の背を越えて、木曽駒ヶ岳へ向かいます。


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